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福岡高等裁判所那覇支部 昭和57年(う)15号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人新里恵二、同池宮城紀夫、上間瑞穂連名作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官新城長栄作成の答弁書に各記載のとおりであるから、これらを引用する。

所論は、原判示第一ないし第三の各事実について、いずれも事実誤認を主張するが、関係証拠によると、右各事実を優に認定することができるし、原判決が「罪となるべき事実を認めた理由及び弁護人等の主張に対する判断」として説示するところも正当として肯認することができる。

一  業務上堕胎罪について

1(一)  所論は、原判決は、Sの最終月経第一日を昭和五五年四月一七日ころと認定のうえ、同日を起算日として妊娠日数を算出したけれども、Sは、初診時における被告人の「最後の生理日はいつだつたか。」との質問に対し、「四月二〇日ころ。」と返答した旨原審において供述しており、右のようなあいまいなSの供述に基づいて原判決が妊娠日数を算出したのは事実を誤認したものである、と主張する。

しかしながら、原判決がSの最終月経最終日を四月一七日ころと認定したのは、同女の被告人に対する初診時の右のような返答に基づくものではなく、原審における同女の検察官及び弁護人の質問に対する「四月一七日ころから二一日か二二日ころまで生理があつた。」旨の明確な供述に基づくものであることが明らかであつて、所論は採用できない。

(二)  所論は、原判決は、安田京子の原審における供述及び被告人の検察官に対する昭和五五年一一月三〇日付、同年一二月一日付各供述調書に基づいて、Sの初診時における子宮底の高さは、臍上二横指径あつた旨認定したが、被告人及び安田京子は実際に手指横径で子宮底の高さを測定したことはなく、単に安田京子の見た目から二横指径位あつたというに過ぎないのであるから、右のようなあいまいな安田京子の原審における供述に基づいて子宮底の高さが手指二横指径あつたと認定した原判決は事実を誤認したものである、と主張する。

そこで検討するのに、被告人の検察官に対する昭和五五年一一月二六日付供述調書及び安田京子の原審における供述によると、被告人は、Sの初診時、安田京子を補助者として、巻尺で恥骨結合から子宮底に至る子宮前壁の長さを測定したもので、子宮底の臍からの高さそのものの測定を目的としたものでないことは所論指摘のとおりであるが、子宮前壁の長さの測定に当たつて、被告人及びその補助者である安田京子が、子宮底の臍からのおよその高さを知つたとしても特段不合理ではなく、従つて、被告人の検察官に対する昭和五五年一一月三〇日付供述調書中の「子宮底の高さは、臍より三センチメートル余りあつた」旨の供述、及び安田京子の原審における「子宮底の高さは臍から二、三センチメートルあつた」旨の供述は十分信用することができる。そして被告人の検察官に対する昭和五五年一二月一日付供述調書によると、二横指径は、約三センチメートルにあたることが明らかであるし、安田京子の「指二本でしたので二横指です。」との原審における供述も、二、三センチメートルという長さを単に別の表現に言い換えたに過ぎないものと認められるから、結局原判決が子宮底の高さは、臍上約三センチメートル即ち二横指径あつたと認定したのは正当であつて、所論は採用できない。

(三)  所論は、原判決は、本件胎児が客観的にみて、医学的な判断として、分娩時においても初診時においても、母体外において「生命を保続することのできない時期」になかつたと認められることの理由の一つに、現実に生産児として出産された本件胎児が、出産後約五四時間も生存したことなどから、生育可能な状態にあつたと判断されることを挙げているが、右のように、結果的に表われた事実を「生命を保続することのできない時期」かどうかという客観的な医学的判断の資料に供するのは、本末転倒の論理である、と主張する。

しかしながら、原判決は、結果的に表われた事実、即ち出産された本件胎児がその生産後の生存時間数等からして生育可能な状態にあつた事実そのものから直ちに「生命を保続することのできない時期」かどうか、即ち、妊娠満二三週を超えていたかどうかを認定したものではなく、原判決の言わんとする趣旨は、結果的に表われた事実も、最終月経、子宮底の高さ、子宮前壁の長さ等からして本件胎児は、客観的にみて、分娩時は勿論、初診時においても妊娠満二三週を超えていたとの医学的判断と整合性を有し、矛盾しないというにあると考えられ、所論は採用できない。

(四)  所論は、原判決は、Sの子宮底の高さは、臍上二横指径(約三センチメートル)、恥骨結合部上縁から子宮底に至る子宮前壁の長さは二一ないし二二センチメートルあつたと認定のうえ、眞柄正直著「最新産科学」によると、右子宮底の高さ及び子宮前壁の長さは、既に妊娠七か月(満二四週以上)を示している旨認定したが、同人の算出方法によると、妊娠六か月の子宮前壁の長さの概算値は、二一センチメートル、妊娠七か月のそれは、二四センチメートルであることが同書上明らかであるから、これによると、原判決の右認定は誤りである旨主張する。

たしかに、同書一二六頁に所論主張のような記載があることは認められるが、他方、同書同頁には、今井、安藤、藤井の三氏による数値も記載され、妊娠六か月の子宮前壁の長さは、今井によると一八センチメートル、安藤、藤井によると、二〇センチメートル、妊娠七か月のそれは、今井によると、二一センチメートル、安藤、藤井によると、二四センチメートルとなつていることが認められる。のみならず、同書同頁には、眞柄正直の見解として、妊娠月数の判定には、子宮底の高さの概測も行なうのがよい旨記載されているところ、同書一二三頁の子宮底の高さによつて妊娠月数を判定する方法の項に、妊娠六か月末の子宮底の高さは、臍高、妊娠七か月末のそれは、臍上二ないし三横指径との記載があることが認められるのであつて、以上の点のほか、原判決は、子宮前壁の長さを二一センチメートルと認定したものではなく二一ないし二二センチメートルと認定していることをも併せ考えると、原判決が同書に基づき妊娠七か月(満二四週以上)と認定したのは相当であり、右認定は、原審が取り調べた「産科婦人科データブツク(抄本)」中の、妊娠七か月の子宮前壁の長さは、二一センチメートルとの記載によつても裏付けられる。所論は採用できない。

以上のとおり、本件胎児が客観的にみて、医学的な判断として、分娩時においても、初診時においても、母体外において「生命を保続することのできない時期」になかつたとの原判決の認定は正当であつて、当審における証人山口光哉の供述は、右認定を左右するに足るものとは考えられない。

2  所論は、原判決が、被告人は、初診時においても、同人の医学的判断に基づいて、本件胎児が妊娠満二三週を超えているとの認識を有していた旨認定したことに対し、るるこれを論難し、まず、被告人の検察官に対する各自白調書の信用性を問題とするけれども、右各自白調書に信用性が認められることについては、原判決が詳細かつ正当に説示するとおりであつて、所論は採用できない。

所論は、また、被告人が、初診時に、Sに対し妊娠六か月末と告げ、当初のカルテにその旨の記録をしたことからしても、被告人に満二三週を超えていたとの認識がなかつたことは明らかであるのに、原判決が、被告人の右のような妊娠月数の告知、記録について、被告人としては、違法な行為であることを示す事項の告知、記録をはばかるのは当然であるとしたのは、そもそも被告人には法に反してまでSに対し人工妊娠中絶を行なう義理などないことからしても、合理的経験則に反する、と主張する。

しかしながら、被告人があえて違法行為に踏み切つた理由については、同人の検察官に対する昭和五五年一二月五日付供述調書中の「Sや胎児の父親がいずれも少年であり、彼等の将来や前途のことだけを考えてやつた。」旨の記載からして十分に了解可能であつて、原判決の説示に特段不当な点はなく、所論は採用できない。

3  所論は、要するに、被告人の所為は、仮に優生保護法上の人工妊娠中絶として刑法三五条により違法性を阻却される場合に該当しないとしても、人工妊娠中絶に対する規範意識の変化等諸般の事情に照らし、可罰的違法性を有しない、というのである。

しかしながら、優生保護法は、「胎児が母体内において生命を保続することができない時期」に限つて、同法一四条一項各号の一の適応要件を充たす場合に人工妊娠中絶を認めていることからもうかがわれるように、母体外で生命を保続することが可能な胎児の生命を保護しようとするものであることは明らかであつて、右立法趣旨にはそれなりの合理性があるというべきであるから、右立法趣旨を実質上没却することになりかねない弁護人の主張には、立法論としてはともかく、解釈論としては、にわかに賛同できない。

原判決が右の点につき説示するところは相当であつて、所論は採用できない。

二  保護者遺棄致死罪及び死体遺棄罪について

1  所論は、原判決が被告人に保護者遺棄致死罪の成立を認めたことに対し、被告人は優生保護法上の人工妊娠中絶という正当な業務行為を行なつたものであることを前提として原判決をるる論難するけれども、右前提事実自体理由のないことは前記のとおりである。その他、原判決が保護者遺棄致死罪の成立を認めた理由につき説示するところは正当であつて、所論は採用できない。

2  所論は、原判決が被告人はTと死体遺棄を共謀した旨、また、本件嬰児死体の埋没方法は行為地である石垣市において世間一般に認められ現今の習俗に適うものとは認められない旨認定したことに対し、被告人はTと死体遺棄を共謀したことはないし、本件埋没方法についても、右は沖縄の幼児葬法に合致するものであるのに、本件嬰児死体の発見に関する新聞報道等の大小をとらえて現今の風俗に適うものとはいえないとするのは独断である旨主張する。

しかしながら、本件共謀が認められることについては、原判決が詳細かつ適切に説示するとおりであるし、本件嬰児の埋没方法についても、原判決が、本件嬰児死体の発見に関する新聞報道等の大小のみをとらえて現今の習俗に適うかどうかを判断したものでないことは判文上明らかである。原判決がTらとの共謀を認定のうえ、死体遺棄罪の成立を認めたのは相当であつて、所論は採用できない。

以上のとおり、本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法三九六条によりこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

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